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《断食月》異文化理解とコミュニケーション(2001年11月掲載)

中澤 操(リハビリテーション科):秋田魁新報 2001年11月18日掲載

以前大学病院に勤務していたころ、エジプトからA先生が留学していて何度か様々なことでお付き合いしたことがあった。普段触れることのないイスラムのことも身近に接して興味深かった。いくつか思い出して書いてみようと思う。食事での配慮はもちろん豚肉とアルコールである。ソーセージやスープの素、スナック菓子の原料にも注意が必要だった。彼のアパートに招かれたとき奥さんが詰め物をしたローストチキンを作ってくれた。とてもおいしいので子どもたちのお皿にたくさん盛ったが、満腹で残してしまった。それを親の私たちに渡された。いわく、「子どもの残した分は親が食べるのが礼儀」「空腹で困っている人が世の中にはたくさんいるから」とのこと。大変苦しい思いをしたが言われたことはもっともである。

断食月が始まった。夕方の勉強会で、メンバー数人は缶コーヒーなどを持参してレントゲン写真の前に座って飲もうとしたところ、A先生が時計をじっと見つめ「あと7分」とつぶやいた。日没までの時間である。日の出以来飲まず食わずでいる人を尻目に、横でガブガブと飲むのは非常に心苦しい気がするものだった。ごく自然に皆で7分待ってから、日没時間にプルタブのフタを開けて、何だかわからないけど、アラーのおかげで、といって乾杯した。とても美味しかった。

断食月の最中に仙台の入国管理局にA先生と家族のビザを申請に出かけなければならなくなった。内心真っ青である。仙台への行き帰り、虚弱な私も飲まず食わずでしょうか、と心配になった。しかし、旅行のときや病気のときは食べてもいいのだそうだ。その代わりあとからその日数を自分で断食すればいいと。なかなか合理的。ほっとして仙台に出かけた。

断食月の終り、これはイスラム教徒にとって最大のお祭りだ。秋田でその日を迎えたA先生は、こう言った。「断食明けには貧しい人に寄付をすることになっています。誰かにお給料の1割を寄付したいが、通訳してくれますか?」。自分より貧しい人に与えるのもイスラムの教えである。東京のイスラム教寺院に寄付するのが一番良いと思う、と答えて、その日はささやかな断食明けの会食をしたのだった。

宗教は異なっても人間どうあるべきか、の教えは同じである。要はお互いを尊重しあうことなのになあ、と中東の情勢、昨今の過激な事件をみるたびに胸が痛む。

秋田魁新報 2001年11月18日

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