患者の皆様へ


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心の健康コーナー:第6話『実践認知症講座』(2000年6月掲載)

その1:「ちほう」の時代

今回は「ちほう」の時代についてお話しします。

行政に携わる皆さんはきっと「地方の時代」を連想したのではないでしょうか?

このお話は少し違って「認知症の時代」についての話です。

2000年2月21日の朝日新聞の記事の中で認知症性老人の人数の推定値が紹介されています。2025年までには高齢者の1割にまで増え、全国で313万人に達するとされています。大雑把に言って、100人に3人が認知症性老人となる社会がもう少しで出現することになるわけです。この問題から色々な面で解決困難なことが生じると思われます。一つはこれらの認知症性老人をどうお世話するかという事です。

北欧先進国でスウェーデンの例をみると、経済的限界のためか、高齢者用の収容施設の国全体の定員はせいぜい高齢者人口の5パーセントだとされました。仮にその数字を日本にもあてはめると、2025年頃の日本の高齢者の人口は3000万余とされているので保護収容出来る方は150万人程度となります。残りの150万余の人たちは健康な人たちと一緒に暮らして行かなければならないことになるのでしょうか。

一方、現代社会は毎日生きるための生活技術も高度のものが要求されます。認知症の方に駅の切符の自動販売機が扱えるでしょうか(私も失敗してショックをうけたことがあります。)経済はどうなるのでしょうか。働ける若い人たちが減って養わなければならないお年寄りが増えれば、国が貧乏になるのは当たり前ではないでしょうか。

認知症性老人の人たちの財産や人権はどう守るのか、若い人達の「やる気」はどうなるのか、考え始めるときりがありません。しかし、少なくとも、これらの問題は我々自身が、両親の問題、自分自身の問題、子供達の問題として、直面しなければならないことでしょう。私にはこれらの全てをどう考えればよいのかはよくわかりません。ただ、出来ることとして認知症性老人への医学的立場からの知識や意見を何回かにわけてご紹介したいと思います。ご参考になれば幸いです。

(2000年6月)

その2:脳が壊れ、心が壊れる

それでは認知症の本質は何でしょうか。これは一言でいえると思います。要するに脳が壊れていくことです。そして、脳が壊れることにより、残念ながらその人の能力やその人らしさも少しずつ失われていきます。やがて、人が変わってしまうのです。

認知症の始まりは普通、記憶障害から始まります。物忘れです。しかも、新しい事が覚えられないことから始まることが多いのです。そして、徐々に進行していきます。判断力が落ちてしまったり、場所や時間がわからない症状が混じってくるようになると毎日の生活を自律して生きていることは難しくなり、他の人に世話をしてもらうことが必要になってきます。脳が少しずつ壊れていく病気だと言えばイメージが掴みやすいかもしれません。最終的には動けなくなり、合併症(肺炎等)を起こして亡くなることになってしまいます。全経過は人によって大きな差がありますが10年前後でしょうか。

人柄の変化は初期から目立つ人も、初めはほとんど目立たない人もいます。なぜ、脳が壊れるかの原因は別の機会にご紹介しますが、脳が壊れることが本質なので明らかに断言できることが1つあります。壊れてしまったものはもとにもどらないということです。ですから、これから、社会全体として認知症への対策を考えていく上で大切なことは認知症にかからないようにするにはどうしたらよいのか、つまり予防の観点、かかったら出来るだけ悪くしないようにするにはどうしたらよいのか、

早期発見、早期治療の観点、これらが大事になるのではないでしょうか。この点についても、別の機会に触れたいと思います。

最後に、念のため、申し上げますが、度忘れは通常、認知症の初期でありません。中年を過ぎると、年齢による当たり前の変化として少しずつ起きてきます。ご心配なく。

(2000年6月)

その3:認知症はなおるのか?

認知症はなおるのでしょうか?大切な問題です。

これについては、少し注意深い説明が必要なようです。なおる(よくなる)所となおらない所があるからです。場合を分けてご紹介しましょう。脳が壊れて知能が低下してしまった部分は、残念ながらなおりません。下がったままです。しかし、更に悪くなりにくくする薬は開発されてきています。これからの発展が期待されます。

それに対して、いわゆる問題行動(興奮、拒絶、不穏:落ちつかなく動き回ること、妄想など)は向精神薬の調整や毎日の生活環境の工夫などにより、軽くしたり、無くしたりするようにできることも多いのです。認知症だからといってあきらめたりせずに、1回は医学的評価を受けるべきだと思います。さらに、残念ながら認知症になってしまった方達に毎日どのような生活を送って頂くかも、今後、大きな関心を呼ぶでしょう。少なくとも、認知症となってしまった方達を普通の社会生活が送れず、事故が起きるからといって、ただ、じっとして過ごしてもらうのは、一番知恵の無い考え方のようです。

リハビリや毎日の生活の送り方でどうやら認知症の進み方が違ってくるようだということが薄々わかってきました。最近では認知症の方達が7人から8人程度の少人数で暮らせる新しいタイプの施設の「グループホーム」がそのような効果がありそうだと言われ始めています。これからの認知症対策は、単に認知症になってしまった人達にお世話をする所を機械的に作るのではなく、予防できる認知症は予防する、早期発見、早期治療に努め、悪くしないように工夫する、医学的検討を加え、良くできる部分は良くする。お世話する環境についても最も悪くなりにくい条件を探っていく。このように色々な視点からの多角的な対応が必要となるような気がします。

そろそろ、みんなの知恵を出しあって、地域社会全体で総合的な対策を作らないと手遅れになるような気も。

(2000年9月)

その4:認知症と物忘れ

今回は認知症と物忘れについて触れます。初めに強調したいのは、物忘れにも安全な物忘れと危険な物忘れがあることです。

以前に度忘れのことについて少し触れました。中年になると個人差はありますが、誰でも度忘れが少しずつ見られるようになります。例えば、昔、テレビに出ていた歌手の顔も歌もわかるが、名前だけがなかなか出てこない。夫婦で会話するとこうなります。

夫「母さん、この歌手だれだっけ?」
妻「ああ、この人、えーと、あれよ、あの人よ。」
夫「そうそう、西郷輝彦の頃に出ていたやつだよね。」
妻「そうそう、それよ、その人よ」

私は個人的にこのような会話を「あれそれ会話」と名付けています。なぜ、このような現象が起きるか、少し、理屈を話します。

人の記憶現象は3段階に分かれていると言われます。初めに物を覚え込む(記銘)、次に覚えている(保持)、最後に思い出す(再生)の3つです。

度忘れの場合は加齢により最後の再生の力が少し弱ってきたために起きるわけで、記憶のストックそのものは脳の中に残っているわけです。ですから、具体的な名前などを指摘されると、「そう、その人だ」と合点がいくわけです。また、「喉の奥まで出かかっているのに出てこない」実感があったりします。倉庫には入っているのに取り出せないわけです。

それに対して、認知症とつながる物忘れは記銘や保持が侵されますので、倉庫には物が入らなかったのか、途中で無くなったかしてしまったわけです。ですから、記憶違いを指摘されても納得せず怒ったりしてしまいます。ご安心頂けたでしょうか。もっとも度忘れも侘びしいものですが。

(2000年9月)

その5:認知症とせん妄

今日は「かかったかと思ったら」のお話です。

身内の方に高齢の方がいらっしゃる方も多いと思います。その時に是非知っておいて頂きたいことを強調します。「せん妄」という症状があることです。

これは、若い人にはほとんど見られず、お年寄りによく見られる症状です。仕組みとしては意識が浅く濁ってしまう病状です。意識がひどく濁れば昏睡状態になり、動けなくなりますが、浅く特殊な状態で濁った時には、「動く意識障害」の状態になるわけです。

この時には今の時間や場所がわからなくなる、会話のまとまりが無く、とんちんかんになる、落ちつき無く動き回ったりするなど、一見、認知症と同様の病状になることがあります。そのために対応が遅れて様子を見たりすることがありますが、これはしばしば危険な状況を招きます。というのは、このせん妄は、お年寄りが体の肺炎や脱水などの体の病気になったり、新しくもらった薬の副作用が出たときのサインとしてよく起きるからです。

ですから、放置すると、最悪の場合は死を招くこともありますから、一刻も早く、内科の先生に見てもらう必要があります。それでは、どう見分ければ良いのでしょうか。

まず、時間経過が大事です。認知症は数日で生じたりしません。数日から数週間以内に急にぼけたように思えたときには、このせん妄が疑われます。ためらわず病院に相談しましょう。数カ月以上かかってぼけてきたと思える場合は両方の可能性があります。緊急性はないにしろ、やはり、病院に相談するべきです。

せん妄と認知症の症状の面の大きな違いはあるのでしょうか。これは絶対的なことは言えませんが、一言でいって、認知症では「夜は眠るし、食事もすすんで食べる」、それに対し、せん妄では「夜昼のリズムがくずれ、夜眠らない。食事も取ろうしなくなる」傾向があります。ぜひ覚えて頂きたいポイントです。

なお、認知症の方にせん妄の症状がさらに重なることもよくあります。

(2000年11月)

その6:認知症と妄想認知症ではしばしば妄想が生じます

今回はそのなかでポピュラーなものを2つご紹介します。

物盗られ妄想これは、その人にとって大切な物、身近な物(預金通帳、衣服など)が盗まれてしまったと言い、興奮したりする症状です。盗んだ「犯人」は通常、身近な人が選ばれますから、一生懸命にお世話をしているお嫁さんや娘さんが犯人扱いされ、悔し涙を流したりするようです。困った病状です。

嫉妬妄想これは男性に多い症状です。「妻の所に毎晩男が忍び込んでくる」などと主張します。ある例では、主張している本人が83才なので、家族に奥さんの年齢をきくと80才だと言います。まずありえない話だと理解してよいでしょう。しかし、本人は真剣であり、妻に暴力をふるったりするために深刻な事態になることもあります。

これら2つの病状には何か共通点があるように思います。両方とも、自分にとって大切な物(財産、配偶者の愛情)が奪い取られることになります。背景には高齢者の持つ心身の衰えから来る無力感、見捨てられることへの不安などがあるように思えてなりません。

もっとも、これらの妄想も色々で心理的に理解できそうなものばかりでもありませんが。いずれにしても、このような妄想がみられたら、遠慮なく精神科医師にご相談下さい。

最後に、おまけを付けます。物品をしまい忘れたのを間違って盗まれたと主張している場合、見つけてもすぐには渡さず、本人と一緒に探して見つけた形にするのがコツだそうです。さもないと犯人にされがちだということです。

(2000年11月)

その7:認知症の種類

認知症の種類については、65歳以上のお年寄りでは2種類あると理解するとよいのではないでしょうか。これらの代表的な2種類についてご紹介します。

アルツハイマー型老年期認知症

これは脳の構成単位の神経細胞が原因不明で萎縮し壊れていくために起きる認知症です。遺伝の関与が取りざたされていますが、すっきりとした結論は出ていません。この病気は、実際のところ、今まではかかったらあきらめるしかなかったのですが、つい最近、日本でも、脳の中のアセチルコリンという物質の働きを調節することにより、この病気の進展速度を遅くしてくれる薬が発売されました。これからは早期発見、早期治療に努め、かかっても出来るだけ悪くしない医療が目指されることになるように思います。

脳血管性認知症

この病気は体の血管が駄目になり、脳の血流も不足するために、酸素や栄養不足で神経細胞が飢え死にするために起きます。ですから、脳の血管を駄目にするいわゆる成人病(高血圧、糖尿病、高脂血症等)を予防することにより、防げるはずです。

県民の皆さんはこの事をご存じない方がまだ多いようです。積極的に啓発を行い、県民全体の意識を高めることがぜひ必要だろうと思います。かかった後も合併する成人病対策に気を使い、悪化させないことが大事となります。

今までの日本は脳血管性認知症が多かったのですが、今後はアルツハイマー型認知症の割合が増え続けると予想されています。

いずれにしても、予防可能だったり、悪化遅延策ができたりしているので、ただ、手をこまねいているのでなく、少しでも認知症を生じなくする、悪化させなくする、そのような発想が重要な時代ではないでしょうか。

(2001年1月)

その8:認知症と独居

身内の一人暮らしのお年寄りが認知症となった場合、家族が悩むのは、「いつまで一人暮らしをさせておいてよいのか」ということではないでしょうか。単純化して考えると、認知症の症状は記憶障害に始まり、少しづつ進み、判断力障害、見当識障害(今の時間や、居る場所がわからなくなる)が生じるようになり、社会での自立が難しくなることになるようです。

ですから、はたで見ていて迷子になることが出てきた、火の消し忘れが生じた等の場合は自立の限界が来たと覚悟する必要がありそうです。

後者の火の消し忘れについて少し詳しく考えてみますが、物忘れで火の消し忘れが生じても判断力が保たれていれば、2回目からは失火につながる火の使用は避けるはずです。それにも関わらず、火を使おうとする場合はやはり判断力障害も起きていると考えた方が良いと思います。

ですから、上記のような事件が起きたら、多少ご本人と言い争いになっても病院への受診を強力に勧める必要があると思います。言いにくいことですが、兄弟同士で意見が食い違い、言い争いになったり、人間関係が気まずくなることもあるようです。精神科医としての経験から言うと近くに住む人は重いと言い、遠くに住む人は軽いと言うことが多いようです。

このような場合、実際はやはり、近くに住んでいる人がより詳しく実態を知っていることが多いようです。遠く離れて暮らしている方は近くの方のご意見を重視なさるようにおすすめします。

出来れば、自分の両親にはいつまでも達者に暮らしてほしい、そう願わない人は居ないと思います。よく考えれば思いは同じなはずです。つらい思いを乗り越えてのご意見だろうと思います。

最後になりますが、上記のようになるまで待たずに、軽い物忘れの時期に早く病院を受診するのが理想的なことは言うまでもありません。

(2001年1月)

その9:認知症と偏見

最後になりますが、認知症についての世の中の受けとめ方について、考えていることを書きます。

認知症については受けとめ方にまだ偏見があると思います。例えば、「(認知症になることは恥ずかしいことだから)うちの家系は認知症が出ないはずだ。ましてや、自分の両親が認知症になるはずがない」、「認知症になるのは運命だ。どうしようもない」、「認知症になったら打つ手はない」など。

考えてみると、私自身、漠然とそのような「感触」を持っていました。ところが、精神科医として認知症の問題を勉強してみると、このような「感触」はぜひ、変えていかなければならないと思うようになりました。

というのは、勉強してみると、認知症の中でも脳血管性認知症は生活改善や成人病の積極治療により予防可能なはずですし、たとえ、かかっても、早期発見、早期治療により、アルツハイマー型にしろ、脳血管性にしろ、悪化を遅らせることができるはずだからです。

このことは本人にとっても、家族にとっても、また社会全体の人的経済的負担軽減のためにも大切なことだと思います。

しかし、前記のような偏見(わたしはそう思います)が残れば、社会全体で取り組んで行くべき認知症の予防、早期発見、早期治療という枠組みがなかなか出来ず、起きてしまった認知症、重症化してしまった認知症への後始末を医療、福祉等が担っていく状況が続いて行くでしょう。

このような流れは変えて行くべきではないでしょうか。そのためには、社会全体で広報、教育を徹底し、前記のような「感触」を払拭し、認知症イコール成人病の一種とでもいうような、客観的に患者も家族も気兼ねなく話し合える病気の一つ(決して軽い病気ではありませんが)として位置づけられることが重要だと思います。

皆様のご意見をお知らせ下さい。

(2001年1月)

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