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心の健康コーナー:第9話『中年心理学入門』(2001年5月掲載)

その1:「中年心理学」のすすめ

私は現在48才です。自らの社会人としての限界を知らされ、現実に妥協し、生命そのものの限界を知る、そして忍び寄る衰えの影におびえながら老人といわれる覚悟ができるまでの時期、私もそのまっただ中にいます。これから数回にわたり、中年の心理について、みなさんと一緒に考えてみたいと思います。ここでお断りしますが、「中年心理学」という言葉は正式のものではありません。青年期や老年期の心理はよく研究されていますが、中年期の心理は漠然と安定しているのだろうと思われていて、あまり研究されてきませんでした。そのためか、言葉そのものもまだ市民権を得ていません。また、中年期の定義そのものがはっきりしません。ここでは一応40才位から60才位までの年齢の人たちを指すことにしてお話を進めましょう。

ご紹介しましたように中年期の心理は何となく安定しており特徴的な事柄はないかのように受け取られてきましたが、最近の研究では中年期の心理はやはり固有の特徴を持っていることがわかってきました。色々な意見があるようですが、私が最も共感を覚えたのは「限界を知る」ことが中年期の最も大きなテーマだろうとする立場です。この立場から、中年に関係して2つの大きな山があると考えます。1つの山は、中年の手前の危機とでも言うべきでしょうか、自分の能力と可能性の限界に気づき始めるときです(30才頃?学者はそう言いますが、私はもっと遅いと思います)。

もう1つの山は自分の生命の限界に直面する中年の危機(40才から50才頃)と言われる時期です。私はこの中で特に後半の危機の問題が重要だと思います。これから「中年心理学」入門シリーズとして、中年の危機をメインに何回かお話ししたいと思います。ご意見をいただければ幸いです。

(2001年5月)

その2:男の「更年期」を考える

女性が生殖活動を終える時期、つまり、月経が停止する時期(閉経)は日本人では50歳前後とされます。女性のこの頃時期は普通、更年期と呼ばれ、自他ともに今までのライフスタイルが変化する、あるいは変化させる必要があることを実感します。

それでは、男性の「更年期」はないのでしょうか。この点についてははっきりとした意見はないようです。しかし、私が毎日の生活の中で考えてみた結論としてはやはり、男性にも「更年期」が有るように思えます。といっても、女性のように生殖機能が激変するわけではありません。身体の生物学的機能が明らかに衰え始める時期という意味です。それでは、いったい、何歳頃が男性の「更年期」なのでしょう。

私「説」?ではやはり50才頃ではないかと思います。それでは、その理由について(眉唾ですが)ご紹介します。通常、動物は(人間も当然、その一部ですが)、生殖期の間は遺伝子に守られていて、多少、無理をしても何とかやっていけるのだそうです。子孫を残すために繁殖可能な間は、遺伝子に保証期限が付けられていて、ある程度の予備力が備わっているようなものでしょうか。ということは、ここからが私の考えなのですが、生殖期が終われば保証期限も切れることになるのではないでしょうか。

生殖期が終わった後の期間はその人の「実力」、普段の摂生が表に出て、健康、不健康がはっきりしてくるのではないでしょうか。

では男性の生殖期の終わりはいつでしょうか。ここからは理屈のお遊びのようなものですが、やはり、女性の閉経が50才頃なら男性の生殖期の保証期限も基本的には50才頃だと考えたほうがわかりやすいと思います。

つまり、男性も50才を過ぎたら、(遺伝子の保証期限がそろそろ切れると覚悟して)摂生していかないと思わぬ病気に足をすくわれて失敗することになるのではないでしょうか。

50才を目前にして、急速に進行する老眼と直面しながらこのような空想を半ば真剣に考えている今日この頃です。

(2001年8月)

その3:中年のゆううつを考える

中年はゆううつな時期です。こう書くと「俺はそんなことはない」と反論する方もいらっしゃると思います。別にゆううつでない人もいると思います。しかし、ゆううつを感じながらもその日その日の暮らしを工夫して暮らしている人の方がはるかに多いのではないでしょうか。

別の反論もあります。「確かに俺はゆううつになることもある。しかし、他の連中はいつ見ても元気そうだぞ。」確かにその通りです。ただし、ここにはからくりがあると思います。「はだかの王様」です。具体的に言うと、みんながゆううつ感、無力感、重圧感をうすうすと感じながらも、それを他人に話すことがはばかれる気持ちなのではないでしょうか。つまり、自分だけが他人と違ってゆううつだと思いこみ、とても他の人に話す気になれない共通の心理が働き、何気なく、「常識的」に明るくふるまい続けているのが現実なのではないでしょうか。

それでは、ここで問題です。言い間違えました。質問をいくつか挙げます。あなたは、朝に出勤することが嫌で仕方がないことがありますか?もう、こんな生活はいやだ。どこか、旅に出たいと思ったことがありますか?このままで、俺は(私は)持つのだろうかと思ったことがありますか?これらはゆううつ感の具体的表現です。そう言えば何回か思ったことがある。いいや、俺は(私は)しょっちゅうだ。と思う方も多いと思います。

それでは、こう思う人は皆、うつ病なのでしょうか。実際に死ぬことを考えたり、休日の気分転換も出来ない程追いつめられているのでなければ違うと思います。健康なゆううつだと思います。

つまり、話が初めに戻りますが、中年の時期はそれ自体が誰にとってもゆううつな時期だろうと言うことになります。それではその理由を次回、考えたいと思います。

(2001年8月)

その4:中年のゆううつを考える(続編)

前回、中年の時期にはみんながゆううつになる傾向があることをお話ししました。今回はその理由をいくつか考えてみたいと思います。もっとも大きな理由は明らかです。実際の負担が大きいのです。肉体的にはピークをはるか昔に過ぎているのに仕事上の負担は減りません。いや、負担が増していることが多いようです。いわゆる中間管理職の立場にいる人も多いと思います。中間がついても管理職とつくとなにやら偉いような錯覚を与えますが、実態は、「自分自身の仕事を抱えながら、若い人の面倒も見る、上司の手伝いもする組織の中の便利屋のような存在だ」とぼやく人も多いようです。

先も見えてきます。この調子なら俺はあのあたりがゴールだなと密かに自問自答することがでてきます。子供たちは大きくなり、生活面は自立してきますが経済的にはまだまだ援助が必要です。いい加減に独立してほしいと思う反面、そうなると寂しくなるなと考えたりもします。

まだまだ、理由を挙げることはいくらでも出来ると思います。しかし、ここでは普段の生活からは直接思いつきにくい理由を考えてみたいと思います。それは人生の後半になってしまったという意識です。

人生には始まりがあると同時に終わりもあります。日本人の場合ははっきりとした信仰を持った人は少ないので「あの世」の存在を信じられない人も多いようです。(私もその中の1人です)そうすると、この世が終わると自分の存在そのものが終わるという事実に直面せざるを得なくなります。何となくむなしさ、寂しさを感じるのは自然なことではないでしょうか。かたく言うと実存的次元でのゆううつとなるのかもしれませんが。

それでは次回からはゆううつとのつきあいの中で失敗しやすい状況についていくつか考えてみたいと思います。

(2001年10月)

その5:「酒」を考える

中年期によく問題になるのはやはり飲酒です。検診で酒を控えるように言われて頭をかいた人は多いのではないでしょうか。確かに毎日酒を飲むことをやめれば成人病(最近は生活習慣病と呼び方が変わりましたが)のかなりの部分が防げる人も多いようです。

もっとも、これから先が問題だと思います。毎日、酒を飲み続けている人は沢山います。検診時の食事指導で栄養士さんや保健婦さんにお酒を減らせと言われると「はい、努力します」と答える人も沢山います。しかし、実際に毎日のお酒を減らしたり、やめたりするする人が沢山いるという話は聞いたことがありません。ここがポイントだと思います。毎日、酒を飲み続ける人は、それが体に悪いことがわかっていながら酒を飲み続けているのです。いや、飲み続けなければならない状況にあるのです。

その原因の一部はアルコールの性質そのものにあります。酒に酔うと気持ちがよくなりますが(陶酔感)、この作用は年をとるに従い減少します。勢い、量を増やして若いときと同様の陶酔感を得ようと思うといわゆる二日酔いになり、毎日それが続くと夜は天国、朝は地獄の毎日になりがちです。訳もなく、明け方に目が覚めたり、妙な胸騒ぎやいらいら感がするとストレスのせいにして更に酒の量が増えがちですが、これはアルコールそのものの作用であることがよくあります。要するにアルコールは習慣化を助長する薬理作用をそれ自体持っているわけです。しかし、ここで強調したいのはアルコールの怖さではなく、「酒でものまなきゃやってられない」我々の心のありかたです。

いままで中年のゆううつについて書いてきましたが、アルコールが手軽で確実なストレス発散法であることも事実です。つまり、アルコールにより我々はゆううつに押しつぶされるのを防いでいる一面もあるわけです(私も毎日飲んでいます)。ただ、残念ながら、身体の健康に影響するような飲酒は明らかに自己破壊的です。なんとか工夫して改善しなければなりません。そのためには単に決心するだけでは足りず、同時にストレス発散の別の方法もセットで考えなくてならないだろうと思います。

今回は自分とも関係が深いことなのでつい力が入って長い話になってしまいました。もっとお話ししたいこともあるのですが、このあたりでやめます。

(2001年10月)

その6:中年の浮気を考える

今回は少し物騒な話題です。時々、テレビで50歳前後の男女関係のもつれから事件が生じたなどの報道があります。随分、元気だなあとか、暇をどうやって作り出すんだろうとか、感心したり、詮索したりしながらテレビをながめています。しかし、この私も精神科医のはしくれです。感心するのは少しにして、そのあと、延々と詮索を続けます。

肉体的にはいい加減、男女の面倒な関係について淡泊になるはずだがとか、どう考えても不利になることはあっても、本人のプラスにはならないだろうとか、下らん考えをああでもない、こうでもないと続けます。

私なりの結論をお話します。あれは悪あがきだろうと思います。中年期は衰えを受け入れ、いわゆる老後を迎える覚悟をするように時間の神様に迫られる時期でもあるわけですが、人間、そう簡単に納得できる事柄ではありません。わかりました、あなたの言う通りですと、時間の神様と素直に握手できる人のほうが少ないのではないでしょうか。

そうすると、一部の勇気のありすぎる人たちは、忘れられない青春期の恋の失敗(大成功の恋愛とはあまり聞いたことがありません。大概、うまくいかないもののようですが)を取り戻そうと肉体がはっきりと衰えてしまう前の「最後のチャンス」大冒険を始めてしまうものではないでしょうか。見解を変えると、人には誰にも選択しなかった「もうひとつの人生」があります。得られなかったもうひとつの愛を得ようとするのかもしれません。結果はどうなるのでしょう。芸能記事専門の記者の人たちは詳しいのでしょうが、私は本で読んだ範囲で想像するしか出来ません。

心理学の本にはこう書いてあります。「この時期に生活の拡大をはかる者もいるが、失敗に終わる」と。今回のお話竜頭蛇尾になってしまいました。お許しください。

(2002年 1月)

その8:ゆううつと付き合う方法(こころ編)

今まで中年のゆううつについて述べてきましたが、今度はゆううつと上手く付き合う方法について少し考えてみたいと思います。但し、これを読めば誰でもゆううつを克服できるというものではありません。

ゆううつと付き合う方法は個人個人で皆違うはずです万人に共通のルールはないはずです。飽くまでのも自分自身で考えていくうえでのヒントだと思ってください。

第1条:ゆううつとの付き合いを考えるべし中年のゆううつは誰でも通るべき道のようです。通り過ぎるまではお付き合いする必要があると思ったほうが現実的です。

第2条:ゆううつの効用を知るべし大人の人の心の成長があるときには、どうも1回ゆううつな時期を通り過ぎるもののようです。もしかしたら、今のゆううつは明日の自分の成長につながるものかもしれません(興ざめですが、成長につながらないゆううつも沢山あります。)

第3条:20年後を考えてみるべし目の前の難題だけに目を奪われて心のゆとりを持てないのが普通だと思いますが、時間の神様は公平です。健康な生活を送れれば必ず老後がやってきます。20年後の自分を想像して見ると少しいつもと違う視点が持てるかも知れません。

第4条:悟りは開けないと悟るべし私が考えるに悟りの本質はあきらめることだと思います。ですから、充実した人生を送り、その集大成を待つばかりのご老人なら可能かもしれませんが、人生真っ只中の我々が悟りを開く心境になるのは不自然だと思います。

第5条:苦あれば楽ありと思うべしおみやげ用ののれんによく書いてありますが、私の言いたいのはもっと皮肉っぽいことで苦が90パーセントから99パーセントあると楽は1パーセントから10パーセントぐらいしかないと思うべきだろうということです。ですから、楽しめる機会があればできるだけ楽しみましょう。苦しいことはあちらから進んでやってきますが、楽しいことは探さないと見つかりません。

最後に繰り返しますが、これはゆううつと付き合うヒントでゆううつから逃れる方法ではありません。書いている私も当然、毎日ゆううつです。落ちがつきましたのでこの辺で。

(2002年1月)

その9:ゆううつと付き合う方法(からだ編)

昔、青少年へのスポーツ奨励のために使われていた「健全な精神は健全な肉体に宿る」という言葉は、実は中年の精神保健対策に有用です。中年になったら体の手入れが必要です。体調がよくなると気分もよくなります。当たり前ですが、極めて大事なことです。

それでは前回にならって第1条から。

第1条:歩くべし体力を回復し、少しでも気分をよくする手軽な方法は歩くことです。といっても、職場で仕事に追われて走り回っている時間はカウントしないほうがよいでしょう。仕事を離れた時間帯に快足で歩きましょう。1回20分、週2回から3回は実行したいものです。歩き始めは汗が出ませんが、10分程で軽く汗ばんでくるはずです。ここからが勝負です。更に10分頑張りましょう。ぜひ、実行してみてください。

第2条:タバコを(そのうちに)絶対やめる(必要があると考える)べし。タバコをゆっくり喫うと気分がゆったりします。速く喫うと頭がすっきりします。含まれるニコチンの作用によるものです。今すぐ、やめる気にはなれないのはよくわかります。しかし、平たい言い方をすればタバコは発癌促進剤です。残念ながらいつかはお別れしなければならないことを忘れないようにしましょう。

第3条:酒は1日2合までにするべし晩酌は1日酒2合まで、ビール大瓶2本までが限界です。飲み過ぎると不眠(朝早く目覚める)、早朝、翌日のいらいら感などがアルコールの薬理作用そのものとして出現します。

第4条:太るべからず肥満は生活習慣病(成人病)の母親になるだけではなく、運動を避ける傾向を自然に生じ、体力を落とします。長い間には生活習慣病を通じて脳へ影響を与え、その人本来の活力を奪うことさえあります。妥協してベルトの穴をゆるめないでください。

第5条:ストレッチ体操をするべし。

第1条から第4条までを読んで不愉快になった方もいらっしゃるでしょう。理屈はわかる。しかし、出来るだけのゆとりがあればとっくの昔に実行している。ゆとりが無いから苦しんでいるんだとおっしゃる方があると思います。そういう方のために奥の手を一つお教えしましょう。本屋に行って実用書のコーナー(スポーツの教習本などが置いている所)からストレッチの本を1冊買ってきてください。そして、1日5分だけ実行してみてください。頭痛、肩こり、目の痛みなどがやわらぎ、随分、リラックス出来る人が多いようです。続けると、関節の動きがよくなり、体がやわらかくなり、気分まで若々しくなるかもしれません。長くなりました。

最後に一言。第5条は絶対おすすめ。第1条も強くおすすめ。第2条,第3条,第4条は忘れないようにすること。こんな感じです。

(2002年2月)

その10:後進を育てる

世の中には功なり、名遂げた、いわゆる成功者の人たちがいます。社会的に成功した彼らは外からみると、いつも自信に満ち、活発で積極的なように思えます。それでは彼らは幸せなのでしょうか。

我々が経験しているゆううつとは無縁の存在なのでしょうか。私にはそうは思えません。やはり、彼らもゆううつなのだと思います。というのもやはり、冒頭にお話ししたように中年の時期には能力の限界と生命の限界の両方に向き合わなければならないからです。彼らは能力の限界の方はあまり悩まなくてもよいのかもしれませんが、生命の限界は対抗手段が無い絶対的事実です。宗教上の「あの世」を信じることが出来ない人たち(私もその一人です)にとり、死ぬことは消失することを意味します。

この虚しさは誰も何をもってしても解消できないのではないでしょうか。それではどんな答えが用意できるでしょうか。私なりの答えを書いてみます。少し、宗教的ですが、考える上でのヒントになれば幸いです。

私が考えたのは「なごり」を残すしかないのであろうと言うことです。私が考えでは、私自身が消失した後に残るのは、周囲の人々の記憶の中に残る私自身のなごりなのだろうと思います。残った人たちの記憶に残る限りは私自身のなごりが残り、更に代が進み、私を知る人がいなくなると残った人たちの記憶の中の私も消失し、完全に私はいなくなる、そのような捉え方をしています。それではみんなに覚えていてもらうために何をするべきか。私が今、情熱を持っているのは出来るだけ、後輩に仕事上の技術、知識を教え、伝えることです。そうすることにより、私の存在を覚えてくれている人がいれば私のなごりも長く残る。長く、残る技術、知識を伝えることが出来ればそれだけ長く自分の生きていた証(あかし)の切れ端が残る。そんな奇妙な情熱を持ちながら後輩の指導をしている私です。参考に成ればよいのですが。

(2002年 2月)

その11:老後への備え

さて、それでは最後に現実的なお話をします。

中年のゆううつを中心にあれこれお話ししました。読んでいただいておわかりのように、要するに心理学的にみて、いつも快活なふりをしている中年はいるだろうが、本当に快活でいられる人は案外少ないようだということです。しかし、このまま、ゆううつを我慢して人生の中年期を過ごすにしても老後ぐらいは楽しみを持って暮らしたいものです。そこで、最後に老後において何が必要か少し考えて見たいと思います。

職業引退後の生活に何が必要かをそれの専門家の人たちや実際に「老後」を送っている人たちの話から推測してみると、1に健康、2によい友達、3,4がなくて5にお金の順番なようです。やはり体と心の健康が一番です。特にからだが丈夫なほうが勝ちのようです。子育ては一段落しているので別にエネルギーは使わなくてもよい。現役の時と違い、競争に勝ち、明日も生き延びるために今日、無理をする必要もない。世俗的価値観に歓合して周りの人たちと同じことを無理してする必要もない。健康であればなんとかなるようです。2番目はよい友達が必要だそうです。仕事から引退するとどうしても世間が狭くなります。今まで少しぐらいほっといてくれと思っていたのが誰か来てくれないかと心待ちになるようです。今までに毎日、仕事がほとんどを占めていた時間を有意義に使うには一人だけではうまく行かないようです。孤独が最大の敵です。末永く付き合えるよい友を少しでも多く持つことが肝要なようです。最後はお金です。しかし、お金は暮らしていくのに必要な分があればよく、後は医療費などの不意の出費に備えればよいようです。毎日の生活を豪勢に過ごそうという気にはあまりならないようです。

備えあれば憂いなしと言いますが、引退後の生活はこの言葉がぴったりなようです。十分な準備をするのは難しいでしょうが、少しずつ、健康とよい友達を確保する作業は始めておく必要がありそうです。まだの方は明日から早速始めることをお勧めします。それでは最後に、お互いに「老後の暮らし」に入ったときに安心して昔のことを語り合えることを願って今回のシリーズを終えます。

それではまた。

(2002年2月)

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