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精神分析はどこへ行ったのか(2011年9月掲載)

2011年9月

現在、主流になっている操作的診断(条件に当てはまるかどうかを一つ一つ確かめていくと、ある診断名に行き当たる診断方法)が一般的になる前は、精神分析理論が興隆していました。精神医学の1分野に位置づけられる、この理論に基づき病状の評価を行い、治療計画を立てて、実行する精神科医が多くいました。私はその理論の一部には不信感を持ちながら、一部は臨床上の治療技術として利用可能であり有用なものであると認め、自分なりに勉強して、患者さんの治療に役立ててきたつもりです。今も、この理論の一部は心の悩みを持つ人達の症状を軽くするために確実に役に立つし、若い精神科医師はこの理論を必ず勉強するべきだと考えています。

ところが、最近の診療技術について勉強する症例検討会などでは、精神分析に基づく病状評価について発現する医師が非常に少なくなりました。以前は、精神療法(心理的働きかけで症状を軽くする治療技術)について検討すれば、必ず精神分析に基づいた評価及び治療計画を意見として述べる医師がいたのですが。最近は薬物療法の話がほとんどで、精神療法というと認知行動療法(有用な治療法だと思います)しか取り上げられない傾向にあります。

これでよいのでしょうか。私は今の状況が不自然に思えます。以前は、精神分析理論を重視する医師の中に、仮説(仮の見方)を検証(実際に確認すること)せず、時には強引な解釈を行い、無理な病状説明をしたり、不適切な治療方針を主張していると思える人達もいました。私は、ほとんどの病状に精神分析的評価とその治療方針が適応できるという主張には根本的不信感を持ちました。しかし、自分の経験上、一部の病状の患者さん達には精神分析上の考え方は確実に役立ちましたし、今も、その価値は衰えていないと思います。現在でも、精神分析上の技術を用いないために、効果的治療法にたどり着けないと考えられる事例を目にします。

私は以前の精神分析の隆盛に批判的でしたが、現在の「精神分析黙殺」の風潮にも強い違和感を感じます。精神分析には一定の評価を与えられるべきです。精神分析に心を寄せる精神科医師は黙り込んでしまわず広く自らの意見を述べるべきです。精神分析はどこへ行ったのでしょうか。何故、みんな(精神科医師)は精神分析に目を向けなくなったり、遠慮して黙ってしまうようになったのでしょうか。時流に流されてはいけないと思います。精神分析について、適切な評価とその利用がなされることを心から望みます。

図:精神分析はどこへ行ったのか

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